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サルガッソー

真夏の太陽に雪が降るのだ
2024
11,27

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2006
12,09
インド
・帝国主義勢力としての日本

 日本は19世紀の最後の10年間に、帝国主義的拡張計画にのりだした。19世紀のはじめ、日本は西洋諸国が足掛かりを築かなければならない地域とみなされていた。しかし、日本はほかのアジア諸国の体験と運命をまぬがれた。1867年に、王政復古により政体が変更されてからは、日本は経済を近代化しはじめた。数十年たらずのうちに、日本は世界のなかでも最も工業化のすすんだ国の一つになったのである。 しかし多くの西洋諸国を帝国主義国に変えた力が、日本の場合にも働いていた。 日本には自国産業をささえる原料はほとんどなかった。 そこで原料を入手できる土地、製品を売りさばく市場を求めていたのである。
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2006
12,02
台湾
 ●日本の権力支配
 1895年の台湾総督府成立後、日本政府は台湾に対し不平等待遇政策をとり、また総督が行政、立法、司法、軍事大権を総攬する総督専制の体制を作った。
 ●皇民化運動
 1937年中日戦争が勃発し、台湾は日本の南進政策の基地となった。
兵力の供給源問題を解決するため、日本は「皇民化運動」を実施した。台湾人が日本式の生活習慣を身につけることを奨励し、日本語を話し、日本姓に改め、日本の神々をまつるなどの方式で台湾人の同化に拍車をかけ、日本国民の愛国心と犠牲的精神を持たせた。
 太平洋戦争勃発後「皇民奉公会」が成立して、台湾人民を戦時体制に組み入れ、その後さらに台湾において徴兵制を実施し、日本軍の侵略性と暴力文化が存分に現れ出た。 
(国民中学3年下期「社会3の下」=仁林文化社)
2006
11,25
シンガポール 
「一二三年間、シンガポールの人々は平和に暮らしていた。日本軍がシンガポールを攻撃したとき、人々は戦争の恐怖を体験しなければならなかった。日本軍が島を占領した三年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。この時期は、日本軍占領時代として知られている。
(中略)シンガポールは昭南島(ショウナントウと発音)、あるいはショーナンアイランドと名前を変えさせられた。”ショーナン”は”南の光”を意味する。しかし、この”光”は明るく輝くことなく、シンガポールの人々は日本の支配下で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした。」
2006
11,18
インドネシア
「1942年3月、オランダが日本に降伏すると、民衆はいたるところで歓呼して日本軍を迎えた。日本もまたアジアの諸民族を白人の支配から解放するために進撃してきたことを宣伝し、インドネシア人は兄弟として日本と協力すべきだと主張したのである。
 日本は検閲を強化し、オランダ語と英語の使用を禁止し、インドネシア語を統一語として使用させた。しかし同時に日本語の普及にもつとめた。
 やがて日本の軍政は、インドネシア人の民族精神への干渉にまで及んだ。日本の天皇をマハ・デワとしてあがめさせ、その居住する東京に向かって頭を下げることを強制した」。
(中学3年生用『インドネシア史』1974)

プロフィール
HN:
ロイトリゲン
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/01/05
職業:
舞台作用員
趣味:
音楽鑑賞
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