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サルガッソー

真夏の太陽に雪が降るのだ
2024
05,13

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2006
12,09
インド
・帝国主義勢力としての日本

 日本は19世紀の最後の10年間に、帝国主義的拡張計画にのりだした。19世紀のはじめ、日本は西洋諸国が足掛かりを築かなければならない地域とみなされていた。しかし、日本はほかのアジア諸国の体験と運命をまぬがれた。1867年に、王政復古により政体が変更されてからは、日本は経済を近代化しはじめた。数十年たらずのうちに、日本は世界のなかでも最も工業化のすすんだ国の一つになったのである。 しかし多くの西洋諸国を帝国主義国に変えた力が、日本の場合にも働いていた。 日本には自国産業をささえる原料はほとんどなかった。 そこで原料を入手できる土地、製品を売りさばく市場を求めていたのである。

日本の帝国主義的意図が実現される機会は、中国にはあり余るほどあった。
朝鮮をめぐる1894年の日清戦争についてはすでに学んだ。このあと、中国における日本の影響力は増大した。 1902年の日英条約は、日本をヨーロッパ列強と同等の位置にある勢力と認めたのである。 1904~1905年に、日本はロシアを破った。この戦争の結果、樺太の南半分は日本に割譲された。 日本は租借した大連港とともに遼東半島南部の支配権を手に入れた。 1910年に、朝鮮は日本の植民地になったのである。

 1914年に第一次世界大戦がはじまったとき、日本は誇りをもって過去50年間の自国の歴史を回顧したものであった。 日本は大国になっていた。そして、もし西洋列強が許しさえすれば、日本は中国を犠牲にしてさらに拡大することができたであろう。

 しかし、日本の歴史は、西洋帝国主義の歴史よりむしろ悪質であった。
事実、日本の活動は帝国主義が特定の国民や地域に限定されるものではないことを示すのに役立ったのである。 帝国主義はどちらかといえば経済的、政治的強国の貪欲な結果であって、それは人種や文化的主張にかかわらず、どんな国の政策をもゆがめることができるものだったのである。
 要約すれば、19世紀の末までにアジアのほぼ全域が、帝国主義諸国に呑みこまれてしまっていた。

・ファシスト侵略の開始

 1930年代になると、ファシスト勢力は究極的に第二次世界大戦をもたらすことになる征服戦争を開始した。主要なファシスト国家はイタリアとドイツであった。彼らは政権についた日本の軍国主義体制と同盟を結んだ。イタリアとドイツにおけるファシズムの勝利についてはすでに述べたところである。

 皆さんは日本帝国主義の興隆、中国やロシアとの戦争、朝鮮の征服および第一次世界大戦後における中国内ドイツ領の獲得などについてすでに学んだ。日本政府は次第に軍国主義者の手に移っていった。

 これら3国がヨーロッパ、アジア、アフリカで一連の侵略を開始したのである。
そのいずれもが共産主義に対抗して戦ってきたことを表明し、1937年には反コミンテルンをかかげた防共協定を結んだ。(コミンテルンとは、コミュニスト・インターナショナルの略で、前に述べたようにロシア革命後に結成され、もろもろの国々の共産党が所属していた。)ドイツ、イタリアおよび日本は枢軸国の名で知られるようになった。

 侵略行為がはじまるや、ソヴィエト連邦や被侵略諸国および世界各国の多くの指導者たちは侵略を打破するための共同行動の必要を説いた。国際連盟規約には侵略に対する経済的、軍事的制裁と共同行動に関する条項があったことを皆さんはすでに学んだ。しかし、西洋諸国の政府はその侵略への抵抗にもかかわらず、これら侵略勢力に対する宥和策を取った。

 宥和とは他の国を犠牲にして侵略勢力と妥協する政策を意味した。かりにこれら西欧諸国の宥和策がなかったならば、ファシズムはあれほどには生きながらえなかったろうし、また第二次世界大戦を引き起こすこともできなかったであろう。

 1930年代に一連の侵略行為を開始したドイツ、イタリアおよび日本は、自分たちは共産主義と戦っているのだと主張した。ヒトラーはくり返し、ドイツがソヴィエト連邦の広大な領土と資源を制圧する願望をもっていることを表明していた。これら3国いずれにおいても、社会主義あるいは共産主義運動は弾圧されていた。

 ロシア革命の成功以来、西洋諸国は共産主義の危険に悩まされており、彼らはファシスト諸国家がこうした危険を除去してくれるだろうことを望んだ。

 ファシストの侵略に対する西洋諸勢力の姿勢をある歴史家は次のように要約していた。「ナチスがポルシェヴィズムを破砕し、ソヴィエト連邦を制圧するべく努めていると世界に納得させるため最善をつくしたことは疑いの余地がない。もしウラル山脈が手に入るなら、すべてのドイツ人は十分に泳ぎを満喫することだろう、というようなヒトラーの演説は、この種の宣言の顕著な一例である。

 また西側世界のエリート層の間にも、彼に信頼を寄せることへの嫌悪感がなかった。多くの中間階層の人々とともに、大土地所有者・貴族・産業資本家・銀行家・教会の高僧・高級軍人など、西ヨーロッパのあらゆる種類の有力者層は、彼ら自身の労働力や農民たちが社会革命、おそらく共産主義によって指導され組織された革命を要求するかもしれないという恐れを放棄していなかった。

 暴力団まがいのものであったにもかかわらず、共産主義を打破し、どうじに既得権益は十分に官制下に残しておいてくれるひとつの勢力としてのファシズムに対して
彼らの示した支持は本能的かつ正直なものであった。

 イギリスやフランスの多くの有力な人びとが、枢軸勢力によるソヴィエト連邦攻撃を望みつつ、これら勢力を強化、確立せしめるべく行動したことはほとんど疑いのないところである。」 宥和政策はファシスト勢力を強化し、第二次世界大戦を導きだした。
The story of civilization volumeⅡ(インドの中学生の歴史教科書)
文献:全訳 世界の歴史教科書シリーズ インド(帝国書院)


モンゴル
数十年にわたってわが国の独立を脅かし、モンゴル人民共和国の発展の大きな障害になっていた日本帝国主義を粉砕したことによって、モンゴルの独立を強固なものにし、安全を保障し、そして平時の社会主義建設を推進する平和な時代の幕が開かれた。
八年生用教科書『モンゴル人民共和国史』モンゴル国民教育省教科書・雑誌合同編集局発行、1987年(教科書)


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